いまの自分を超えて、豊かに生きる
豊かさはシンプルに生み出される
豊かさの定義は経済的なことだけではないです。
精神的、環境的に豊かであること。
人間関係、健康面で豊かであること。
お金以外の豊かさはたくさんあります。
・・とは言え、誰もが経済的豊かさを求めるはず。
これまでセッションをした方の中には、経済やお金にまつわることをテーマにされた方は少なくありません。
でも、実は、みなさんお金がないわけじゃないです。
「ない」と思っていたけれど、よく考えたらないわけではなかった・・・と気づかれた方も少ないくないです。
「将来のことを考えると経済的に不安」というテーマを掲げられた方は、セッションを始めて間もなく、実は経済的にはそれほど不安はないというご自分の本音に気づかれました。
事実が変わるわけではありません。
けれど質問によって思い込みは外れます。
思い込みが外れると、まるで事実が変わったかのように感じられることがあります。
この方は将来が不安どころか、ご自分の能力を発揮して昇進昇給に繋がる可能性まで見出しました。
不安はただの思い込みでしかなく、昇進昇給の可能性の方が事実です。
私達は意外と、本来、経済的な問題でないことをまるで経済的問題であるかのように考えることがあります。
もしかしたら、「お金さえあれば解決する」という神話に囚われ、それを信じ過ぎているのかもしれません。
豊かさを求めるなら、無意味な思い込みを捨て、 事実を認めて必要な行動をすることです。
心の豊かさも、経済的な豊かさも、同じように生み出されます。
とてもシンプルなことなんです。
外側にある豊かさ、内側にある豊かさ
誰もが豊かさを求めるはずです。
もちろん、悪いことではないです。
ただ。
豊かさを叶えるのは、やはり内側です。
つまり、求めるなら自分の中、ということ。
境遇や環境に恵まれることが、豊かさの絶対条件ではありません。
どんなに恵まれたことが起こっても、それを「恵まれている」「幸せだ」「豊かだ」と感じるチカラがないと、どこまでいっても豊かさを得ることは出来ないからです。
何が起こっても感じるチカラがなければ、起こっていないのと同じ。
何を手にしても感じるチカラがなければ、手にしていないのと同じ。
感じることがなければ、そこに喜びや満足はないわけですから。
「何を得るか」よりも「何をどう感じるか」の方が、よほど大事だということです。
自分なりのうれしい、楽しい、心地いいを感じられてこその満足。
ワクワクドキドキなのか、のんびりゆったりなのか。
いまの自分が何をどう感じたら満たされるのか。
それを知ることが最も豊かさに近いこと。近づくこと。
外側で起こることや、誰かから手渡される何かを期待するのは、もちろん悪くないけれど。
より多くの豊かさを得たいなら、その間にも、自分の感性を磨き鍛えることです。育てることです。
豊かさは、感じるチカラなしには叶えられないからです。
豊かさは経験と想いから
自分は何をどう感じるか?
自分にとって何が幸せと感じるか?
どうなることが豊かなことなのか?
それを知る、わかることで豊かさを引き出します。
豊かさは、心から求めることに感じるものだから。
こんなに愛されている、こんなに自分を思う人がいてくれる・・・たとえそうであっても、お金がなかったら豊かじゃないと思えば、豊かではないです。
それは、他人がとやかくジャッジすることではないので。
逆に、贅沢な旅行は出来ないけど、大好きな人と温泉を楽しめるなんて、なんて幸せなんだろう・・・と、豊かさを感じる人もいます。
自分にとって何が価値あることなのか、それがわかることは、ある意味豊かさへの近道と言えそうです。
有り余るほどお金がある状態、働かずに生活することが豊かさだと考えることもあるでしょう。
よい悪いではなくて、知ること、自覚することです。
自分の条件でしか、豊かさは実現できないので。
ただ、それも含めて経験したこと、経験によって感じることにしか豊かさはありません。
幸せも豊かさも、どこまでいっても感じることでしか実現しないのです。
極端なことを言えば、感情を失った人が億万長者になっても、そこに豊かさはないのです。
寂しさや孤独、怒りや妬み、切なくて張り裂けそうな気持ち、恥ずかしいことも、緊張することも、それらの経験や感覚が人生に豊かさをもたらすと考える人は、日常の中で常に豊かさを感じられます。
その経験や感情が自分を豊かにして、その豊かさが、外側からの豊かさを呼び込むのです。
「経験や感情なんて、1円にもならないじゃないか!」というもはごもっとも。
だから、自分の中にある豊かさの条件をよく知ることです。
信念や条件、それぞれ本当に満たされることをしることが豊かさへの道と言えそうです。
天はあなたの豊かに味方する
お金はツールです。
手段です。
それで何をするか?
それをどんなことに活かせるか?
そこに豊かさは現れます。
使い切れないほどのお金を持つ人は確かに豊かな生活をしていると思います。
ただ、本当の豊かさは、その先にある気がします。
どういうことかと言うと。
お金をたくさん持ったらそのお金で何をするか?・・・ということ。
たくさんのお金でどんなことをするか?
そこに豊かさは現れると思うんです。
その人が扱えるだけのお金を天は与える・・・というような話を、聴いたことはないですか?
つまり、器ってことですね。
だとすると、いまの自分の器を大きくすれば、天が味方してくれそうです。
たとえば、自分の経験を活かすようなお金の使い方が出来たら、とても豊かなことだと思います。
それは発信だったり、起業だったり、ボランティアだったり・・・。
自分以外の誰かのために、何らかの方法で、誰かや何かの役に立つことが出来たら、それはとても豊かな生き方のように思います。
そして、これはお金がなくても出来ることだったりします。
あなたがいま持っているあなたのチカラを、何かのカタチで誰かに提供すれば、まったく同じことではないでしょうか?
たとえば、あなたの家族のためにあなたに出来る努力をしているなら、それだけで充分豊かなことだと思います。
お金があってもなくても、自分のチカラを活かせれば、それは明らかに豊かな生き方です。
その心意気と行動に、天もきっと味方するはずです。
豊かさを手にするそれぞれの方法
豊かさの解釈も感じ方も、人それぞれ。
豊かさに正解も不正解もありません。
とは言え、心も経済も潤うのが豊かなことに違いないですね。
では、心も豊かで経済的にも豊かな状態というと、どんなことをイメージしますか?
もしも、ですが。
好きなことや得意なこと、興味深いこと、自分がやりたいと望むことで収入を得られるとしたら、それこそが豊かなことと思う人は多いことでしょう。
たとえ収入にならなくても、好きなことが出来て、心豊かに暮らせて充分な満足を感じられるとしたら、それはそれでいいことです。
でも、ですね。
いまの自分に出来ることで収入を得ながら、好きなこと、やりたいことを極めていって、それを収入に繋げたいと考える人は少なくないはずです。
多くの人が、可能性としては充分あり得ると思いながら、その割には実現しにくいと感じるのはなぜでしょう?
そして実際に行動を起こさないのはなぜでしょう?
理由はひとつではないし、それぞれ条件も違います。
だから、その答えもひとつではないのですが。
それでも敢えて言えば、ひとりひとり自分に合ったやり方を見つけられないから・・・ではないでしょうか。
豊かさの解釈が人それぞれあるように、豊かさを手にする方法もそれぞれ合った方法が必要です。
誰かの成功例は、参考になったり励みになったりしますが、そのままそっくり自分に当てはめて使うことは出来ません。
ただ、きめ細かく自分に合った方法で進めば、充分可能なのです。
豊かさを手にするために必要なことのひとつは、あなたに合った方法で本当にあなたがやりたいことを極めること。
自分に合った方法というのは、夢と現実のバランスを程よく取る方法でもあります。
夢を実現するには、ありのままの現実を受け入れて、その中で自分が本当にやりたいことを拡げていくことです。
心も経済も潤う豊かな状態は、あなたの中から引き出される日を待っています。
豊かさは深さ
かつては、物をたくさん持つことが豊かなことと定義されていました。
いまもその考えはなくなってはいませんね。
ただ、現代においては、物が少ないから豊かでないとは考えませんし、いわゆるミニマム、ミニマルはむしろ豊かな印象です。
シンプルに、必要最小限で生活する方々は、深いこだわりで吟味して物を減らしているはずです。
量という基準ではなく、「深さ」という基準です。
機能性やデザイン、耐久性など本当に気に入ったものだけを選び、それ以外のものを持つ欲求はなく、その深い気持ちが豊かさに繋がっているようにも感じられます。
物が溢れていることに豊かさを感じる時代は過ぎ去りました。
量ではなく、質と深さが豊かさを象徴していると言えそうです。
まるでシンプルであることが豊かさを生み出していくように。
たとえば人間関係も、薄く繋がる100人よりも、少ない人数でも強く深い揺るぎない結びつきのほうが豊かに感じられます。
誰かが決めた画一的な考え方や、物の数、量ではなく、想いの深さや思考の幅が、よほど豊かさを創り出します。
あるとか、ないとか、多いとか、少ないとか、そういう基準に振り回されることなく、自分なりの深い想いで豊かさを実現したいものですね。
豊かな人の余裕とリラックス
豊かな人は余裕があります。
余裕があるからリラックスしています。
豊かな人ならば、環境を整えることも、
健康を気遣うことも余裕を持って出来ます。
気持ちよく過ごせるように家具やファブリックを整えて、身体のためにジムや医療を利用する。
仕事がしやすいようにデスク周りを充実させ、ぐっすり眠れるような寝具を用意して、食事やサプリなども安心なものを選びます。
たっぷりとお花を飾って、気持ちよく使えるカップやグラスで日常をストレスなく過ごします。
経済的に豊かであれば、そういったことを無理なく叶えられます。
でも。
どれだけお金を持っていても、生活環境に興味を持たない人は心地よく空間を整えようとは思わないし、健康に興味を持たなければ身体を整えようと思いません。
それらのことにお金をかけようともしないかもしれません。
経済的に豊かだからといって、環境を整え、健康に気を遣い、心地よさを追求するとは限らないのです。
一輪の花を愛でる、手間暇かけた健康的な食事、心も身体も健やかに
いつも笑顔でいることは、お金のあるなしとは関係なく出来ること。
経済的に豊かだから、余裕があってリラックスしているというより
余裕ある生き方、リラックスして楽しむ姿勢が豊かさを創り出す・・ということだと思うのです。
余裕とリラックス、あなたどうですか?
豊かさの境目
豊かな人にとって「得をする」というのは
「出さずに得る」ということでなく、
出して得たものをそれ以上に自分に活かすこと。
さらなる価値を上乗せするという
主体的な考えがあると思うのです。
対価だったり、労力だったり、自分が出したエネルギーで得たものをそれ以上の価値に大きくすることが出来る。育てられる。
それが豊かな人の考える「得すること」。
そしてそれを自分だけに留めず、他者に伝えたり、自分なりにカタチを変えて提供するから豊かさが循環していくわけです。
何も差し出さずに受け取ることだけを考えて、出さずに得ることが「得すること」だと考えている間は、受け取ることが目的になっていてそれ以上のことに頭も心も動きません。
ついでに身体はもっと動きません。(笑)
だから、豊かさは循環しないわけです。
ごくごく簡単に言えば、「得ること」だけを考えるか、「得たもの」をより価値あるものにするか・・・その意識が豊かさの境目。
さて、あなたの意識はどこにありますか?
あなたの豊かさは循環していますか?
豊かさを身にまとう人
ひと目見て、この人は豊かな人なんだろうな・・・とわかることないですか?
持ちものや装飾品や、そういうことではなく。
雰囲気から豊かさを感じられる人。
オーラとか波動、そういう言い方も出来るかも。
逆に、失礼ながらその反対の体験をすることもあります。
誰もが同じように感じるわけではないですが、それにしても、少なからずそういう体験をすると、豊かさを感じる人とそうでない人の差は何だろう?・・・と考えてしまいます。
一応、ですが。
「豊かに見える人」ではありません。
まして「豊かそうに見える人」ではありません。
私達が身にまとっているのは、靴や洋服、装飾品のブランドやましてその金額ではなく、内側から滲み出る「何か」。
隠そうにも隠し切れない、内側なんだと思います。
このブログにたどり着く方は、他人を押しのけるとか、自分だけ得をするとか、そんなことは考えていないと思います。
そして、そういう思考が内側から出てくる最初のものだということも、よくおわかりのはず。
他人さまから感じる「豊かさ」や「気品」のようなものがわかる人は、それらを自分の身にまとうことの出来る人だと思います。
私達が感じるものが、どこからやって来るか、よくおわかりだからです。
豊かな人は見えない価値を知っている
お金はエネルギーと言われます。
エネルギーは見えません。
見えないけれど、確かにあるものです。
この世の何もかも、見えても見えなくても、すべてはエネルギーなわけですが。
その中でもお金というのはちょっと不思議な存在に感じます。
紙幣や硬貨というのは確かに目に見える物質です。
でも、交換するのはただの紙や金属の塊ではありません。
物と物との交換とは確かに違う面があります。
たとえばレストランで食事をする時。
食事や飲み物にお金を支払うだけではなく、楽しい時間やその空間、レストランのサービスという価値にもお支払いをすることになります。
私達は物質にお金を支払っているようで常にそれ以外のものの価値にもお支払いをしているのです。
差し出すエネルギーと受け取るエネルギー。
その価値を充分感じて、それがわかる自分でありたいと思います。
豊かな人は、品物だろうとサービスだろうと、お支払いをする価値が目の前の「何か」だけではないことを、きっとわかっているはずです。
豊かな人は、目に見えないお金のエネルギーを目に見えない価値に支払う能力のある人。
反対に言うと、目に見えない価値を認めてお支払い出来る人が、豊かな人なのだと思います。
豊かな人には必ずあるもの
“豊かな人”には必ずあるもの。
それは、安心と安定です。
豊かな人はいつでも安心しています。
焦る必要も不安になる理由もないからです。
「私は安心している」なんて改めて思わないほど安心しています。
だから安定しています。
安心はあなたの中に必ずあります。
だからその安心にフォーカスすることです。
でもそれは、不安を感じているのに、自分に嘘をついて不安をないことにする・・・なんて意味ではありません。
私達は不安にフォーカスしやすいです。心配事に、より心が動きます。
それは防衛本能です。
不安の役割は、危険に備えて自分の身を守ること。そのためにある感情です。
決して悪いものではないんですよね。
ただ、不安にこだわって不安な波動を出すと、より不安な出来事がやってくる・・・というのを聞いたことがありますか?
意識が現実を創る、ということです。
だから、いまある不安に気持ちを向けすぎると、ますます不安が強く大きくなるということですね。
かと言って、不安を感じながら「不安はない」と自分に嘘をつく必要はないのです。
それは無理な話です。
では、どうするか?
いま自分の中に「ある」ものに意識を向けて、安心感を得ることです。
ひとつの安心感で心を満たし、安定させるのです。
不安にこだわれば不安が大きくなるように、安心に心を向ければ安心が強く大きくなるわけです。
いまのあなたは、どんなことに安心を感じられますか?
それはつまり、どんな豊かさがありますか?・・ということです。
健康、人間関係、仕事、趣味、経済・・・
あなたの中にいまある豊かさを意識して、安心してみます。
そのひとつの豊かさや安心は、他の豊かさや安心に繋がっていきます。
安心があなたを「豊かな人」にしていきます。
豊かさはシンプルで軽快
お金はたくさんある方がいい。
あればあるだけいい。
どれだけ入っても、もっとあった方がいい
・・・と思うのがお金。
ホント、そうですよね。(笑)
本当にそうだと思うのですが、
そうだとしても豊かさの定義に例外はありません。
豊かさの定義というのは、すっきりとシンプルで軽い印象。
「人間関係が豊か」って、友達がたくさんいること・・・?
「環境的に豊か」って、物が溢れていること・・・?
・・・違いますよね。
豊かさいうのは数の問題ではないですね。
経済的な豊かさは
お金がたくさん入って来るなら、その分循環させられること。
必要なものには惜しみなく使い、不要な物に無駄に使わないこと。
目的を持って感謝でお支払いすること。
すべてすっきりシンプルで軽い印象です。
「豊かに生きる」「人生が豊かである」
それは、すっきりシンプルで軽いイメージ。
どんなことにも共通する感じがしませんか?
人間関係も環境も、心も身体もすっきりシンプルで軽快な人は
経済的にもシンプルな循環で豊かさが実現できます。
出来ることからひとつずつ、シンプルに軽快にしてみませんか?
人生が豊かになります。
豊かな生き方が出来ます。
豊かな人は「豊かになろう」と思わない
豊かに「なろう」としないことです。
なろうとするのは、豊かではない人です。
それは豊かでないことを認めること。
豊かでないから、豊かになろうとします。
既に豊かな人は、決して豊かになろうとしません。
なろうとしなくても既に豊かだから。
「そうは言っても・・・」と言いたくなる気持ちをぐっと抑えて、いま目の前にある豊かさを数えましょう。
数えようとするだけで、溢れるほどの豊かさがあることに気づくはずです。
数えることなんてできないくらいあるはずです。
豊かであるいまの自分を認めたら、既に豊かな人です。
豊かな人の仲間入りです。
だから、そのまま豊かであり続けましょう。
決して後戻りしないことです。
一歩戻ると、また「豊かになろう」とし始めます。
なろうとしないことです。
いま既に豊かな人として、そうあり続けるのです。
世の中の豊かな人が、すべてそうであるように。
なろうとしなくても既に豊かである人達の仲間入りをしたら、二度とそこから出ないことです。
豊かになろうとはせずに、豊かであり続けましょう。
たったいまから。
